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遂にイノシシの解体を体験(2)![]() |
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さてその日の電話は、チャンスがあったら誘ってほしいとお願いしていたイノシシの解体の知らせでした。私のように野菜を育てているものにとってイノシシはやっつけるべき“敵”です。たとえ自分の畑がやられたわけではなくとも、あちらこちらで聞く被害は他人事とは思えず、“増えすぎ”の分をすこしでも減らせたらいいなと思っていました。だから“応援隊長”が解体をしたと言った時にすかさず反応して、もしご迷惑でなくてわたしが参加できる時があったら誘ってと、もう1年越しのお願いでした。 私がそのような血生臭い行いをしたいというのにはそれなりのバックグラウンドがあり、おまけに新しいことに興味を持つ“やりたがり”のためなのです。というわけでその電話をきくと、予定の庭仕事を即座に変更しました。軍手と念のための長靴も用意し、勇躍午後を待って夫を誘い解体場所へ向かいました。私が執刀者になるかはっきりしなかったのでナイフは持ちませんでした。 その日の現場は“応援隊長”宅の広い空き地でした。ご近所の家からは離れており、野次馬の来るおそれもない格好の場所でした。 そこには応援隊長の他に2人の男性がいました。その内の一人が指導役で、もう一人は運ぶのを手伝ったりした様です。傍らには畑で使う一輪車の壊れかかったのに黒い物体が置いてあって、弱い火が燻っていました。それがイノシシで、血抜きのすんだ体に首はありませんでした。なんでも血と首をもって役所に行くと、決まった報奨金がでるのだそうです。それほどに役所では増えすぎイノシシに困っているのでしょう。血液は検査をして悪い病気にかかっていないことを確認するとのことでした。 二つの脚立に渡した鉄の棒にイノシシの両腕を縛ってぶらさげると、いよいよ始まりです。私にもホームセンターで売っているナイフが渡されました。そこで軍手をはめると隊長と二人で作業を開始しました。親方の指示通りまず体表を刃できれいにすると皮をむきます。軽く火が入っているので簡単にとれました。わずかな風に乗って辺りにはものの焦げたにおいと生臭い匂いがしていました。やがて夫も参加して腹の正中線を切り裂き、内臓を傷つけないようにしながらはずしていきます。ナイフを慎重に使ってゆっくり動かし、全部切り離されるとそれはどばーっと一塊りになって下に落ちていきました。 牛肉の枝肉がぶら下がっている様子をテレビなどでみたことがありますが、ちょうどそのような景色になってイノシシはぶらさがっていました。もうこの形になると肉屋さんで見る景色みたいでことさらに血生臭いとは思わないでしょう。スーパーでパックされるちょっと前の段階ですから。 ぶら下がっている物体から両腿を外し、次に両腕をとってフィレを外すと解体は終了でした。その日はたまたま二匹も解体したので短い秋の日は暮れかかり、今回は内臓はいらないとそのまま埋めましたが、私はそこから心臓を一つ取り出しました。かなり大きくて私の手のひらがふんわり囲むサイズでした。自分の心臓はこれより少し大きいのではないかと思ったのですが、下に落ちた大きな塊りの方はくわしく観察する余裕はなく、チラッとしか見られませんでした。 それでもたくさんのいろいろな色をした器官の集合体は、野山を駆け回っていたイノシシの命をついさっきまで維持するために働いていた“わけで、私には突然”創造主”と言う言葉を思い起こさせられ、まるで生命体という奇跡の具象化した景色に見えました。生きているどんな動物にも備えられている当たり前の内臓ですが、命の神聖さを見せられたようで私は美しいなと感じました。創造主が存在するしないはともかく、庭で野菜や雑草、ミミズや昆虫小鳥などの命に日々接して、あらゆる生物が『生きている』ことの不思議さを常日頃感じていましたから、ちらりと見たその複雑極まりない塊りに心動かされたのです。 その午後の仕事は、私がかつてニワトリを解体した時と違って相手がもっとヒトに近い四つ足でしたから、なおのことだったのでしょう。帰りの車は暮れていく夕日の美しい光に包まれていました。わたしの心の中では「ごめんね、」と「ありがとう」の二つの言葉がこだましていました。(2023,年1月16日) ![]() |
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